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2010/09/10)
イドイド語り
腐。地平線を超えて腐。
冬闇が妙に多いのは『一度は冬に抱かれた~』のせいということにやっと思い至りました。
ただ単に死んで生き返った比喩だけだと思ってましたすいません…!
冬に抱かれた=生と死の狭間 でイヴェールと邂逅を果たしてたって解釈は十分ありなんですね。おいしいですね。私、遅い。
イヴェール視点で迷い込んできた可愛い貴重な同胞を可愛がってたらメルムッティに無理やり奪い返されたとかそりゃ萌えるわ。
双子の姫君たちにとっても可愛い弟分ができたようなもんだし、冬の人をけしかけて三人とムッティで喧々してたら萌えるよ。
結局ムッティが勝って冬の人は引き籠るんだろうけど、去り際に再会を約束したりして。
そんで青年になってから冬の人が迎えに行ったり、魔女方面(笑)の知識は何も無いメルに生と死の地平線の越え方とか教えたりしてるとかか!
少年→青年の変わりように驚きつつ「でも同じ」って受け入れて精神面弱ってる闇の人に心の底から依存されればいい!
闇の人の悪人面なら闇冬でもイケるとか思ってすいません。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい罪深い私でーすー。
『童話は何刻だって墓場から始まるものさ』も『長い時間の中、山ほど見てきてうんざりさ』みたいな他人事のような皮肉に隠して、体験談が込められてるとかだとほんと萌える。
冬の人との出会い、即ち闇の人のメルヒェン!
『いつだって』ってことは2回以上だよね。自分が突き落とされた時とムッティが処刑された時と思われ冬闇萌え。
ああ、でもこの妄想、なんか冬の人がしっかりした大人みたいでどうしよう・・・。
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